シモセンについて

代表挨拶

代表挨拶

シモセンは、1902年(明治35年)、初代村上甲之進が対岸の門司で、三神丸外、二三隻の機帆船で興した海運業を基としています。1933年(昭和8年)、村上甲之進の長男、村上良輔が下関に戻り船具商を立ち上げました。戦時統制令により一時中断したものの、戦後1948年(昭和23年)に統制令が解除されたと同時に、下関船用品㈱を発足させ、1990年(平成2年)、㈱シモセンと社名変更し現在に至ります。シモセンは百数十年にわたり海の世界に関わってまいりました。

船具商を立ち上げた2代村上良輔は、「商いは牛のよだれ」を心構えに、細く長く続く、地道に真面目な商いを続けてまいりました。この地道に真面目な社風は、現在の若手にも受け継がれています。また、船具商を立ち上げた昭和初期は、一般には日本は不況と失業の嵐が吹き荒れておりましたが、ここ下関は中国・韓国といった大陸への起点、漁業基地として、市場の開設、百貨店や金融機関の進出、山陽線に続き山陰線の開通と、関門海峡という立地条件にめぐまれた土地であったため、村上良輔は海運業界の将来性を考え、「地域の産業に密着し、物資を円滑に供給する」ことに尽力したらと志を立て、船具商を立ち上げました。この志は現在でも経営理念として生きています。

代表挨拶

では、「地域の産業に密着し、物資を円滑に供給する」とはシモセンにとってどういうことなのか?創業当時は、関門海峡という恵まれた立地を生かし、海運業、水産業といった産業に、物資の供給を行っていました。しかしながら、時代の変遷とともに、シモセンにとっての地域も変わり、産業も変わり、密着の仕方も変わり、扱う商品(物資)も変わり続け、常にどのようにしたら商品(物資)を、スムーズ(円滑)にお客様にお届けすることができるかを、考え続け、問い続けてまいりました。

シモセンの大きなお客様に、北は北海道航路から、南は沖縄航路、そして離島航路のフェリー会社様がいらっしゃいます。フェリーは大体20年前後でリプレースしていきます。リプレースの時期が近づいてくると、フェリー会社様との情報交換から始まり、建造造船所様と設計段階での打合せ、そして救命設備、消防設備、照明器具や窓といった建造資材を、納期を守りながら納入し、船の誕生である進水式には立ち会わせていただき、竣工時には船内で使用する備品関係、車用の固縛資材、シャーシー台車、厨房用品、乗船されるお客様がお使いになる寝具までもご注文いただき、その何百点に上る細かい商品を間違いなくスムーズに供給できるよう励んでいます。また、船が営業航海を始めると、その航海に必要な資材納入し、救命設備の点検整備を行い、シモセンの社員はその船と一生お付き合いすることとなります。一生に携わらせていただくことは船具屋冥利につきます。

このようにシモセンは、伝票でモノを動かすだけでなく現場に入る商社を目指しています。3代村上良多は、いかにお客様と共に生き残っていくか、そのためにお役に立つ商社(現場に入る商社)として使命を果たし、社員一丸となって仕事に取組むことと、加えてシモセンは仕入先の皆様に商品を売らせていただいている。売るものがあれば時代と共に変化していけると、この二つを常々申していました。

代表挨拶

シモセンは、現在、造船・海運資材、水産資材の販売、また土木・建設施工免許を持ちながら、ウッドデッキ遊歩道工事、図書館の本の自動搬送設備、市場の製氷設備の施工といった設備工事にも関わっています。船舶救命設備関係の整備では瀬戸内海と九州の結節点である下関と、同じく得意な地理的要因を持つ沖縄にサービスステーションがあり、国内トップクラスの整備場と整備士を有しています。近年、下関漁具製作所を建設し、沖合底引き向けの漁具の製作を始めるなど、地球に優しい、効率的な日本の漁業を支えるテクノロジーのご提案を行っています。加えて艦艇建造においては、バルブの遠隔操作の資材供給と施工等々と多様性を求めています。そうはいっても、社内システムの換装をはじめDX実装は急務です。また、目の前の造船業界の変化へどのように対応していくのか、海外とどのようにつながっていくのかと、多くの課題を抱えています。しかしながら、四方を海に囲まれたこの日本で、創業以来の、地道で真面目な社風と、企業理念「地域の産業に密着し、物資を円滑に供給する」を時代に合わせて変化させ、突き詰めていく。そして、多くの若い社員の活力を信じ、今後も仕入れ先各社様に支えて頂きながら、現場に入る商社としてお客様と共に生き残り、次代にむけて進んでまいります。

株式会社シモセン
代表取締役 村上博史